第二章 幼少期

一、On my mind…けんちゃんの わが心の古里

真っ赤な太陽

 えぇ~っと今日は2013年のえ!もう6月か。昨年10月末に奈良から大阪に引越して初めての夏が来た。
というより今日は梅雨に入って初めて雨らしい本降りになってきた。
でも今年の春はいろいろ大変でした。PM2.5…PPMは知ってるけどおまけに黄砂!えぇ!ミサイルも飛んでくるって…始まりそうなの?でもシニアはイェローカード止まりかな…なんて冗談も言っていたんです。

 ところでプロ野球は今年もセは巨人が優勝するのかなぁ、どうかなぁ阪神半疑だけど。阪神元気で関西元気!関西元気で…えんやこーらの日本元気!関西は日本のオヘソです~へぇえ…。
でもね…ほんと関西来たらタイガース一色!他のチーム全く無視~民放で巨人×ヤクルト戦なんてまず無い…しかしです、僕が大阪に居た昔は隠れ巨人ファンが一杯居たんです、たぶん今もいるはず。

 『天王寺~てんのうじ 終点天王寺』…『終点阿倍野~あべの~ 国鉄お乗換えです』?!この違い解ります?解るよね。
『大阪ぁおおさかぁ…』『梅田ぁうめだぁ~』この違い、『東京トウキョウ…』『丸の内マルノウチ~国鉄お乗換え…』この違い、僕はあまり気にしていなかった。
1949年初秋『今日はほんまご乗車おおきに~毎度ありがとさん!もうすぐ終点天王寺駅でっせ 忘れもんおまへんよ~に』…車掌さん、こんな感じじゃぁなかったのかなぁ。

 上町台地…夕陽丘から、夕焼けが海を彩る大阪湾~遠く淡路・四国の山並みが一望できただろう…僕が育った僕のふるさと もう一つの古里の話…。

 お父ちゃんの声で目が覚めた…和歌山から乗った阪和線が天王寺駅のホームに近づくと、電車の窓が真っ赤に染まり…電車からホームに降り歩くと、真っ赤な太陽が燃えていた。
駅を出て直ぐ小さな電車に乗り坂道を下り始めても~真っ赤かっか空の雲…お父ちゃんもお母ちゃんも~みんなのお顔も真赤ッカ ギンギンぎらぎら陽が沈む。
通天閣…?観なかった様に思う。やがて僕は暖かい大きな膝の上で♪浅い夢をみていた。

 大阪市西成区旭南通り8丁目5番地。とても長ぁ~~~~~~い建物の一軒が僕達の新しい住みかになった。
玄関あけたら2分でお庭~んな2分もかからん、玄関入ると小さな土間の炊事場があり~そこから4、5帖ほどの食事部屋、奥の部屋は8畳ほどで廊下の先は部屋ほどの庭。
廊下の左に手水鉢があり、その上に水の入ったタンクが吊るしてあったが届かない~反対側の右奥がカワヤで冬の暗い夜は怖く、我慢をして何回も寝小便をした。
カワヤの横にイチジクの木があり、大きな実が残っていた。初めてのイチジクは僕の好みの味ではなかった。だから今でもイチジクは食べない…乾燥イチジクは別。
冬は隙間風が冷たく、夏は蒸し暑かったと母は言う…だが物心が付きだした僕には、面白おかしく楽しい~とても幸せな人生劇場の幕が切って降ろされた。

 父は朝早く仕事に出かける。だから父と顔を会わす事があまり無く、夜は夜で帰りが遅く…僕が早く寝てしまうために、普段は父と触れ合うことは殆どなかった。
父の仕事は南区高津にある貞明(森本家長男)伯父さんの洋服屋を手伝うようになり、水車のように暫しも休まず働き詰めの毎日だった…そんな記憶が残っている。

 その頃の思い出に…年の瀬も押し迫ったある日「お父ちゃんが今夜エエ物を持って帰ってくる」と母が言う。だから僕も眠いのを懸命に我慢して父の帰りをひたすら待った。
夜になると夕方からの雨が一段と激しくなり、家の中まで雨飛沫が入りそうになり僕は怖くなった…その時!玄関の戸がガタンと開き、雨音と一緒に父が戻った。
びしょ濡れの父が小脇に抱えていたのはコートで巻いた…な~んやコタツや。興味も無く父が帰って来た事が嬉しく直ぐに寝てしまった。

 コタツだと思っていたモノは新品のラジオだった~どうやら自宅で仕事をするようになった母(※1)へのプレゼントのようだ。そう“ながら族”の始まりだ。
僕にはまだラジオを聴くという感覚は無く、専ら表で遊んでいたのは言うまでも無い。だが食時の時やちょっとしたタイミングで母が聞いているラジオは自然と耳に入っていた。
ニュースやラジオ劇場などは全く解らないし興味も無かった…だが“浪曲”や“流行歌”は理解できなくても“音”は勝手に侵入する。
ベンベンベン“ツマはオットをいたわりつ?、オットはツマをしたいツツ~ナツとはいえどかたい中…?”なんたらかんたら…さらに小学生になっても♪“いきなくろ兵衛みこしのマァツにあだなすがたのあらい~”
何がなんだか解らない~解らないがそれなりに三味線や楽器の音、リズムを感覚で受け取っていた…だから僕の浪速節的人生路線は~このラジオで養われたのかも知れない。
※1:当時はまだ一般的ではなかった“背広”の仕立ての“まとめ仕事”~裏地・ボタンホールかがりとボタン付け、ズボンの裾あげなど~仕立てスーツのほぼ最終工程。

 新年が開け、初めて何かが弾ける音を聞いた、パパンパン~パン!パン!乾いた音だったが何かは解らない、とにかく僕は賑やかな所に来たと思った。
8丁目5番地は細ぉ~い露地を挟んだ二棟の長屋で12世帯だが…お向かいの松下さん家は2軒の家を改造し2軒で1軒、つまり11世帯が暮らしている。
松下さん家の半分は衣桁屋さんで、衝立や衣装掛などを作っている工場だ。僕はその作業場を見物するのが好きで、毎朝見学に行くようになった…それがやがて役に立つ。

 工場のアサ一は裏庭で寝ていた大きな犬が表に繋がれ、また寝そべる。工場には松下のオバチャンと、二人のオッチャンが住み込みで働いている。
仕事のスタートはまず土間で練炭をおこし、大鍋で湯を沸かす~沸いた所に、何か飴のような板(※2)が何枚も入る~これが独特の香りを出しながらドロドロになるまで気長に煮る。
煮えて溶けた物を、黄色い土の粉(トノ粉と呼んでいた)のようなモノが入った大きな寸胴鍋に柄杓で少しずつ移し入れながら、入れては混ぜて、混ぜては加える。
この作業を二人のオッチャンがやる。
※2:日本画の岩絵具に使うニカワ=牛か鯨のコラーゲンか?骨の髄か?はじ噛んだが美味くない。

 職人さんは練炭火鉢でキセルをふかしてから「ほなボチボチいこか」と何処に行くのかと思ったら~仕事場の小上がりに座り込む。
するともう一人の仕事人が絵柄を入れるベニヤの腰板を裏庭の倉庫から塗り場に運んで来る、それが結構な量であまり広くない土間がすぐに狭くなる。僕はお邪魔だったんだろうなぁ。
まず大きな金タライの中で、腰板に下塗りのトノ粉を手早く塗る~と言うより柄杓で流しかける~仕事人がある程度塗り終わったベニヤ板を自分で、土間のココかしこに立て並べる。
暫くしてから仕事人が自分で立てかけた腰板を両手に二枚ずつ持ち、表に運んで天日干しにする~その間小上がりの職人さんは下塗りの終わった腰板の本塗りにかかっている。
「お昼やよ」…おかぁちゃんの声がする。今日はちゅうかそば(※3)やて…ちゅうかって何やろ。
午後一番、下塗りの乾いた板を再び土間に運び入れ、オバチャンと仕事人がサンドぺーパーで、浮いた余分なトノ粉を磨き落とす…黄砂が舞いあがる~
ゴッホ^ブエッヘ^バッハ!
磨き終わった板は次々に本塗りの職人さんがいる小上がりに運ばれる。とてもノンビリとした流れだったと思う…でもこれで良い時代だ。
※3:なんちゅうか?初めて食べた~ほんの中華なそば。

 近所の人が「ホルモン食べるか!炊いたら美味いで」と、持ってきたらしい。でも母は東京の奉公先で既にホルモンを使った煮込料理を作っていたと言う。大正末期?か昭和の初めか…スゴイ。
これまで本物?のラーメン食をべたことが無かった…だからお母ちゃんの手作り(※4)が僕の中華そば。煮干とカツオ出汁を鶏がらの出汁と合わせる~砂糖・塩・しょう油・生姜で味着け。
この出汁で、下茹でをしてあるホルモンを煮る。これがしょう油も少なめで透き通った旨い中華そばのスープになる。
麺は玉子麺。蒲鉾とネギ、とろろ昆布少々、自家製シナチク~もちホルモンたっぷりトッピング。ゆで玉子は…卵が高かったから無し。このホルモンラーメンほんま旨かった。
※4:あと同じホルモン出汁だが、塩味で野菜がタップリ入った中華そばも美味しかった…そうか!それで僕はいまだにタン麺が好きなんだ…。

 アーなんだコーナンだ それでドーなんだ【読まなくてもいいコーナー】なんだ

 僕もカミさんも“うすあじ”好み。例えば外食でカツ丼を頼む。するとほとんど塩ッパイ!また汁が多すぎて汁茶漬けだったこともある…何で?
それで仕方なく小ライス頼むと「ご飯少なかったですか」と来る。このカツ丼をオカズに白飯が食えた…ほんま牛丼もオカズにできる。かといって“カツとじ”はまた違うし…。
結局食べたい味は、自分で好きなように作る。やっぱりコレしかない。
それで、かりに吉牛の味を追求するとかなりの量の砂糖・塩・しょう油やアレコレ隠し味が必要になる~なのに昼どき吉野家では“大盛り汁ダク”にしょう油を掛けまわし生卵にまたしょう油…。
更に紅生姜てんこ盛り(あの紅生姜もけっこう塩を使っています)おまけに新香までしょう油の海で…あぁ~~~どう塩ぅもない…。
若いうちはいいと思う。けどねぇこう言う食べ方をする方は決まって太った方が多く汗だく。きっと腎臓がオージンジ オージンジって泣いているだろう、余計なお世話だが気をつけてね。

 塩分は糖分の間…いや、何処までも控えめに~兄から聞いた健康を保つための古ぅ~い三原則(※5):食べるな(量を言う)・燃やせ・カスを出せ~だって。
でも今は、食べたら燃やしてカスを出せ~が良いかも知れない~コレ車と同じ、吸・爆・排~圧が無いのはロータリーエンジンね…、あれ以来無くなっちゃった?何故。
人も車も“燃焼効率”の問題~食べたモノを完全燃焼させると出したモノはあまり臭わない~生ガスのニオイって嫌ですよね~快食・快便そして快眠…。
※5:三原則 兄が博士号を取得した時の論文のほんの一部~それで「ラーメンのスープ半分以上飲むな」ってうるさいの。でも「旨い美味い」って全ぇ~んぶ飲んでた兄。

 解っちゃぁいるけど~我が家のラーメン・半チャー定食もやはり“塩・しょう油・砂糖”は欠かせない~あたりまえ~さぁいざキッチンへ。

1、先ずカミさんがブタ肩ロースでチャーシュウを仕込む。漬けダレはダレのレシピ?かってぇ~カミさんは“栗原はるみさん”のレシピを参考にしています。だから美味い!
この漬けダレは、チャーシューを食べるときのソースに、ゆで卵を漬け込むタレに、ラーメンスープの味付け、チャーハンの味付けに、サラダのドレッシングに万能です。

材料 ブタ肩ロース600~700グラム・おろしニンニク1~2かけ・ニンニク2かけ・柚子1個~柚子ポンでもいいですかぁ栗原さん・調味料は塩コショウ適宜

漬けダレ しょう油1~2カップ・酒40cc・味りん60cc・ニンニク2かけ・柚子1/2を輪切り・セロリやタマネギ・ニンジンなど好みの野菜を合わせる~この一工夫がオリジナリティの見せ所。

先ず、卵を好みの数だけ好みの硬さに茹でておきます(沸騰して中火で5~6分茹で黄みドロ~)~茹で上がったら氷水で急速で冷やし20~30秒ほどで取り出して剥くと皮が剥れやすい。

チャーシュウ難しいと思いこんでいませんか~ほんと簡単なんです。大切なポイントは、肉は必ず常温にしておく~冷蔵庫から出して冬なら1時間 夏なら20~30分かな。

①豚肉に下味付けの塩コショウ・おろしニンニクをすり込み、タコ糸ネットで包んで15分置く(下味付けの塩コショウは手の平に取り、塩結びを握る要領で肉にすり込むと無駄がない)。

②オーブンの天板にオーブンシートを敷き、網を置き、①を置いて200度のオーブンで約20分焼き、180度に下げてさらに20分焼くってぇ~書いてある。

③肉が焼きあがったら熱いうちに漬けダレに茹で玉子と一緒に漬ける、我が家はチャック付きビニール袋~好みだがゆで卵はあまり漬け過ぎずに20分ほどで取り出す。

肉はそのまま1時間ほどで取り出し、一切れ味見~うまいっしょ~ほんのり温かいの美味しいよね~これを冷蔵庫に入れると白い油の結晶“ラード(◎)”が出来る~コレを瓶に詰めて冷蔵。

ワンポイントアドバイス:漬けダレが肉や玉子の全体にからむよう 時々ポジションチェンジしてちょーだい。

後は漬けダレをドレッシングにして召し上がれ~半分残った柚子絞って練りカラシで食べてみてよ~美味いよ!

2、自家製チャーシュウ・ウ~チャーハン〔2人前で温かいご飯2人前〕

①まず下拵え。チャーシュウを7~8ミリに3~4枚切り~さらにさいの目に・卵2個・鳴ると巻き(※6)適量・ネギみじん切り~これだけ。
コレでチャーハンを作るが◎自家製ラードでチャーしたい、さらにしょう油の代わりにチャーシュウの漬けダレを使う。
※6:チクワや蒲鉾でもOK~味に深みが出る。

②フライパン熱して中火でサラダオイル大さじ1~2・ラード大さじ1を入れ卵を軽くスクランブルし素早くライスを入れ玉子をからめながらチャーする。

③ご飯がほぐれたら①を入れさらにチャーしてチャーシュウダレを定量(大さじ3くらいかな)味見して軽く塩コショウで塩味調整~料理酒チョイけて強火でサッと炒めて出来上がり。

漬けダレは香りと旨み付けね~あまり多いとチャーハン黒く味濃くなるあるよ、塩味は塩コショウで調整するのがポイント。

3、ウ~ラーメン~スープはチャーシュウ漬けダレしょう油味〔2人前〕

①カツオ出汁が基本、僕はコレに“魚粉”と“コンソメか鶏がらスープ”と粉末昆布を少々プラスする~ここでもしょう油に代わって活躍するのが漬けダレ1/3カップ。

②トッピングはもちろんチャーシュウと漬け込んだゆで玉子・ネギ・鳴ると・桃屋のめんま・もやしのナムル~アァ…店やりたいは!餃子は内緒で王将で仕入れて…遅いか。

③もやしのナムルは鍋で湯を沸かし塩少し加えモヤシを2~3分ボイルしてざるに空け、水分を切って鍋に戻して漬けダレと塩胡椒少々加え混ぜて最後にごま油で香り付け。

とにかくチャーシュウが上手くできたら全てよし。

ポイント1 チャーハンもラーメンも塩コショウで味を調えること。

ポイント2 僕はビンに詰めたラードは冷凍している。これをサラダ油とコラボってチャーすると中華がさらに美味しいくなる。ラーメンスープに入れてもよし。

残ったチャーシュウは要冷蔵だが、チンしないで室温に戻して食べるのが美味しく食べるコツ。オニオンスライス・カラシバターマヨでサンドも美味いよ!