番外編実録断片小説 「もうどうにも止まらない」

こんなの、つまらない写真だよね。でもこれね、 ある日突然、跡形もなく姿を消してしまった大正時代の置き土産。 こんなにも古めかしく、一見なんとも色気のない建物のようだが、 僕達青春時代のど真ん中、思いがけない人生経験をさせてくれた、 懐かしいビルヂングなのである。ところが何時、何処のどいつが、 いったい何のために、こんな大がかりな証拠隠滅を図ったのか…? 思わず、何かを求めて振りかえってみても・・・ そこにはただ風が吹いているだけだった。

こんなの、つまらない写真だよね。でもこれね、
ある日突然、跡形もなく姿を消してしまった大正時代の置き土産。
こんなにも古めかしく、一見なんとも色気のない建物のようだが、
僕達青春時代のど真ん中、思いがけない人生経験をさせてくれた、
懐かしいビルヂングなのである。ところが何時、何処のどいつが、
いったい何のために、こんな大がかりな証拠隠滅を図ったのか…?
思わず、何かを求めて振りかえってみても・・・
そこにはただ風が吹いているだけだった。

In the early morning rain, with a dollar in my hand. With an aching in my heart and my pockets full of sand. I’m a long way from home, and I miss my loved one so. In the early morning rain, with no place to go. Out on runway number nine…

朝日のように さわやかに―――――
「眩しい^^^おはよう」おはようさん、ゆっくり寝れたの。「…気が付いたら朝」ほんま、昨日は飲みすぎや。「そういえば二人とも」ばったんQ~やったな。「秒 殺?」あぁ。「窓 」…あぁ、はいはい。「爽やかな風ね」 見ろよ あの青い空~白い雲。「明け方に あがったの?」
そう5時前の、ほんの15分ほどやったけど、土っ砂降り。「早かったのね」いつもといっしょ。
「そうね」 そういえば今朝がた、ほら^ 東急線の、多摩川高島屋近くの河川敷から中洲に、けっこう広~い公園があったでしょ。「…?」 あっこの土手で、それも僕のほか誰~れもおらん、たった一人っきりでな、大~きな野ゴイを釣る夢をみてた。「鯉」 それもな、エサがな、カルビーのカッパえびせんなんや。「そうなの」 そやけどな…そのコイな、水面まで上がるとな~突然目が眩むように煌めきはじめたんや。「…」 見ると、それはそれは見事な黄金の野鯉
なんや。「そうなの、夢って不思議ね…」あぁ、コイというものは、不思議なものなんや。「ねぇ」なに。「今日 出かけるんでしょ」あぁ。

Oh~What a defference a day made…Twenty four little hours.~Brought the sun and the flowers.ガッ^げっ^! Where there used to be rain.Oh~~~えっへん…ガッガッ!げっ^!
「大丈夫なの」あぁ…「朝からジャズなんて珍しい、どうしたの」 いいや別に、ただなんとなく…ゲッ^ガッ^やっぱあかんは、朝っぱらから声でないは。もしかして風邪かな…あえいえ あえうお^^^ガ^ガ^あえうお あーあー^…あ…^ぁ’ぁ「なんか喉へんよ」 あぁ、最近呼吸がな…ちょっと歩くとヒーヒーって。「ねぇ、今日診てもらったら」…大丈V。
「新しい豆買ったの 今 入れるはね」 いいねぇ。「確か、ブレンド・リーね」…そう^いいや
ブレンダーだよ。「ほんのジョークよ」 まったく、じょーく言うよ。 でもさぁ、いったいどこから〝JOKE〟が出てきたの …まぁいいけどさ。「今度一緒に ジョークに行こうって、映画もいっぱい観るってあなた 約束したじゃない 」いつの話?「 行きたい fu-mu…」映画ねぇ…
「映画のあとで、ジョークで美味しい水割飲みながら、黄色い出汁巻き食べて、モダンジャズを二人で聴こうって、あなた 約束したじゃない~聴きたいa-ha woo」 待てよそれ、どこかで聞いたよな。
そう、JOKE は JAZZ BAR なんだ。「連れてってよ」 僕はいいけど、ちょっと遠いよ。「あら そうなの、どれくらい?」 そうだなぁ~最低一泊、いいや…できれば 3~4泊コース。「いったい 何処なのよ」 東京渋谷百軒店 「考えとく」 カミさん立ち去ったあと…声なき声を絞り出すように^^^今すぐ行きたい!春まで 待てない^これ、おわかりかぁな~び~つ。

「ねぇミルク」まずは直球 …「どう^」いいねぇ~_^ 。「 好きなの?」 何が?「リー」 ~そうでもないけど、歌はまぁ上手いと思う。と言うか、英語が上手いんだ。「アメリカ人なのに」アメリカ人だって、下手な英語使う人はたくさんいると思うよ。「……」 それに、一部の和製シンガーの〝ジャパニーズ〟のように、母国語の上手い下手はあるはず。「 ほら、あの子」…「何とかミ 子?」あ~ぁ^あのお方 ねぇ。彼女、声にパンチはあったし、キレもよかったね。
それに、あの頃にしては全身のリズム感もよかった。「50’sよね」 あのころが、ちょっぴり懐かしい歳になっちゃったね。はのころは は!二人とも^ほ! 確か彼女、日本に来たんだよな、違ったか。「そう言えば私、ペリー・コモショーで見たような気がするは」そうかなぁ?そうだったっけ・・・「おかわりは?」あぁ、おねがい。

ねぇ、「何」たった今、というか^ふと、いや、なんとなく聞こえてきちゃった。 「何が」…
古い歌のインントロなんだ。 僕が一人で映画館に通いだした、6~7歳 (昭和27~8年) 前後のことなんだけど…「ピカピカの1年生」そう…まぁいいや…「なによ」ほら、お向かいのベランダの、あの騒鳥。「あぁ、あれはね スズメの鳴き声」なんか、いつもと違うよ。「元気よねぇ」恋の季節かな。「あの方、毎日エサをあげているからなの」それでか。でもな、スズメの成鳥はエサになついても、人には^まずなつかないんだ。「そういえば ほら野方で」 中野の野方、だよね。そうだよ^そうそう、一時期スズメ飼っていたよな。
えぇ…なんて言ったっけ名前? 「…」…「冬なんかさぁ、仕事しているウ~ちゃんの首スジに、ちゃっかり乗かって」暖かいものだから、そのまんま眠りこけちゃって。時々落ちそうになってな。 「そうだ、たしか写真あるはよ」まじ^・・・ 「ほら」へぇぇ…確かこの時期は、まだ
冬だったよな。 なのに半袖Tシャツにロン毛。 僕、長髪似あってないよな。「でもないはよ」コロンとして、冬毛かな。 「まだ飛べなかったから」しかし可愛かったよなぁ。「…!出たはおちゅんよ」 そうだ^そうそう、〝おちゅん〟だよ~あ^電線に あ^それ~スズメが三羽なんて。そうそう、スズメは雛から育てるか、小さいうちにな。
・・・If I had known before I courted What all his lyin’ would have done… fumu muu
I’d have locked my heart in a box of golden And never would have courted none・・・
I wish I were a tiny sparrow And I had wings and I could fly…フムム~ だけどマリーさん、Key 低いよな。でもなぁ、このナンバーやりたかったなぁ。「高校の文化祭でしょ」!

…でね、映画館に入った時から帰る時まで、そう^幕間に、一日中流れている歌があったんだ。「何なの」ダイナの歌。「ダイナ…」そう。「ワシントンかしら」ダイナ・ ワシントンねぇ~懐かしいねぇ。いいや、その時は当然、名前なんか知らなかったけどダイナ・ショアだよ。つまり、日本風に言うと岸辺さんか岸さんかな。「浜さん」かもな。「だれなの」 おやや?知らないの。「…」 そうか、そういえば、あなたはまだ4~5歳だったのか…なるほど。 「今と違ってその頃の2つ違い、この差はおおきいはよ」たしかに。
ブル ブル ブルーカナーリ ‘~tweet tweet tweet whole day long~ブルーカナーリとか、なんとか。 当たり前だが、何をどう歌っているのか、その頃の僕には歌の意味なんてまったくわからない。「…」 でもね、小鳥が楽し気にピーピー鳴いて、とてもメルヘンチックで、不思議な感覚だった。今でもこの曲を聴くと、あのころの…あの映画館の客席にいるような、そんな気がする。

なぁ^「何よ、大きな声で」あのな、大阪のホルモン事情に異変だって。「あら、た いへん」言うと思った。それも牛筋だよ。なんでも需要が増えすぎて…「これ以上増えたら 私困るは」大阪は、猫も杓子も牛筋だもんな。「また 高くなるのね」だよな!そうだ^わかった、いっそのこと、骨皮スジ衛牛を飼育すればいいんじゃぁないのかな。「だから、いつも言ってるじゃない」… 「高い牛筋を買って手間暇かけるより、コンビニのおでんの牛筋買ったほうが安あがりなの」そうか、まったくだよな。でもさ、結局はコンビニ業界やスーパー、それと大手企業や飲み屋さん、さらに加工業者が買い占めるから…まぁいいか。 なぁ7i まだおでんあるのか?「遅いはよいまごろ、おでんはこの春でおしまい」うそ!「その後は、秋までないの」まじ…
なんじゃとて^今すぐ食べたい!秋まで待てない !
そういえば最近。 たま~になんだけどさぁ、油の乗ったカリカリ^カシラの塩焼き、七味か自家製柚子コショウで、待てよワサビもいいな。ほんと、ゴリガリぐじゅわ にゅるゴリゴニョ^ゴリ^あぁ…メッチャむくっちゃむ食べたくなるよ。「また食べ物の話なの」 あぁ、もうどうにも止まらない。 串休めにオイキムチ。「ねぇ、あそこの行列ができるホルモン焼」……。「それとも、そこの鳥爛漫、今夜行く?」 らんまん、名前聞くだけでもたまらん^行くいく^
今すぐ食べたい^夜まで待てない! 見ろよ、この食に対する欲望。一度騒ぎ出すと~もうどうにも止まらない。 そうなんだ、ホルモンは僕のこの上ない妙薬なんだ。 だけどさぁ、僕のこの奥歯、早く治療しないとなぁ。

「今、 ブロッコリー 湯がくはね」トマト…Are you going to sukabarou fear~ パセリ、セージ、ローズメリー&~ちょっとタイム。 ねぇ^マリーがいたなら伝えてよ… Remember me to one who lives there. She once was a true love of mine~フムム… セロリに、アスパラも食べたいな。 「無いのよ いま」… 「ねぇ、スクランブル お願い」 ふんわふわわオムレツでも、いいかな。「いいはよ^」よっしゃ~♪Oh~ダイナ…許してちょ~だい くちづけ わが胸のときめき だったかな~When I said^ I needed you””” 違った♬これ、やぁ~めた~~~「わざとらしい」あぁ。
やっと声出だしたよ。「でも、喉 にごってるはよ」にごり水の中に~ふむむのむー…。
そして一つがふむむ~Oh~please stay by me, Dainaっと、まぁ同じようなもんだな。 玉子は 3っつでいいよな。それと、えぇ…あとなんだっけ、「フレッシュミルク ないのよ今」そうなの、じゃぁ牛乳でいいから出しといてよ。「出してあるはよ」あと^パルメジャ―ノはどこ?「新しいの買ってあるから」 はいはい~おぉーダイナ~貴女だけが生きがいなの おねがい~
お願いっとくらやぁ。
You are my desutoniy 君と僕とは赤い糸、生まれる前から赤い糸。 切っても斬っても切れない蓮の糸。それが定めというものか。「ポール・アンカ いいわね^」~だよね、要はポールも英語が上手いのよ。彼の発音というか、イントネーションが、生まれつきロック感覚なんだろな~コン^コン^~ポットトン…すげぇ^お~い、見ろよこの卵 二子玉だよ。「たまたまよ」

同じ時代だけど、まぁロック感覚となると、僕はどちらかと言えば^ニール・セダカ の方が断然あったっと思う。「同感」乗れるよな。 あの頃の日本だと、あれだよ~やっぱしマチヤアキ
がトップシンガーかな。「サカイ、それとも」まぁ巨匠はどちらかと言うと、ロックよりはバラードのほうがあってると思うよ。「そうよね」~♬ そばにだれかいないと しずみそうなこの胸 まるで潮が引いたあとの 暗い海のように・・・ 「 ふれる肩のくもり 感じながら 話を~」もっと もっとできるならば・・・ 今はそれでフムムー 「 息で曇る窓に書いた きみの名前…」なんといっても、まず歌がいいよな。 阿久 悠・浜 圭介さんの名コンビ、ほんと作詞・作曲がいいよな。~夕焼け「 海の夕焼け」ま赤っかな海の色だよ~ そうだなぁ^できるなら、二人でハモれると、もっといいのにね。
ほんと、巨匠も昌晃さんも、どちらも歌が上手と思う。変に横文字かぶれ的な歌い方しないから、聴いていて耳に自然でやさしく気分がいい。 「そうよ^そうだは、お二人とも日本の言葉をとても丁寧に歌ってる」そのとーり。 それに、なんだっけ…ペギーか、ダニー?誰なんだこれ?へぇぇぇ、こんなジャズシンガーいたんだ^ちっとも知らなかったよ。 これはダニーか …ダニーイイダニーパラキン?コミックバンドだったかな…何だって、あのマイク・タイソンが嘘ほんま、いつの間に…こんなのまったく知らなかったよ。 まぁタイソン、すでに下り坂だったものな。

昔から学ばない、聞かない、覚えようとしないだろろ。 新聞とらない見ない、雑誌・週刊誌買わない読まない。さらに世間的な噂も信じない。 だから世の中のこと、あまり知らない。まったくないない尽くしだよな僕。「そうかしら、私も同じようなものよ」ほんとになぁ~良くも悪くもまぁお互い、こ こまで何事もなく、無事に生きぬいてこれたと~ こぉ~心からそう思うよ^いやほんま。なぁ~お ま え。「はい、あ な た」 命くれない夫婦道~ついてこいとは言わないが だまって後から付いてきた 俺が二十歳でお前が・・・ねぇ^「・」なぁ。「何よ」今日出かけるんだからさぁ、お小遣いくれない? 「ちょっと気を許すとこれだから、まだあるでしょ」 そうなの^やっぱりくれないのね、ほんとここ一番クールなんだから。「ねぇ、何時ごろ出かけるの」朝食のあとで。​

エントランスに、建物のネームプレートがあるはず。実は今日、その確認のためにわざわざ出かけるのである。昼兼用のBTLサンドとチーズオムレツ、さらにサラダが美味かった。 でね~あんまりコーヒーがうまいので、もう一杯おかわりしたのさ^さのよいよいっと。 さぁ^ 日が 暮れないうちに戻ってきたいから。「ねぇ」なに?「お願い」…「ちょっと待ってくれいかしら」…。「私もQ’sモールまで一緒に出かけるから」あぁいいよ、表で待ってるから~と言いつつ、知らず知らずのうちにごく自然に、ゆっくり歩きめんです~いったん歩き出したら、もうどうにも止まらない。 これも癖。いいや、これは捨てがたい、僕の個性の一つなのである。

銭のない奴は お俺んとこへこい^ 俺もないけど心配すんな~見ろよ青い空 白い雲・・・ru・・rubo” 初夏の蒼い空は限りなくひろがり、爽やかな碧の風がゆるやかに流れている~ruboooru waou—boruru baou bowao の bouboururu~あぶぁ みな どわぬ わぁすどうわ…わんをんうおんぼんよう~わんよ~お^セスナ?何か吠えている。 だが、女性アナウンスの声が割れ、内容がまったく聞きとれない。いったい何のt…なんか昭和30年代を思い出なぁ… やっぱし、ここは大阪やなぁ。
道はすっかり乾き、行きかう人の笑顔も明るい。 今日は何か好いことありそな、そんな気分。
ところががが^無情にも、目標の被写体は跡形もなく、そこには高い囲いが出来ていた~おぉ^
木久扇さん早かった^大丈夫かな。「へぇ…」分かるよね。 いったい何処のどいつが、いつの間に… その現場検証から察するに、どうやら非情な犯行はこの2~3日前に終わっている。
◎B.L.T:アメリカン・ブレックファーストの定番といえば、トースト&バター。 そこにカリカリベーコン:B・レタス:L ・トマト:Tのサンド~つまりB.L.T。 さらにスクランブルエッグ・ワンプレート^と来ればカフェオレにオレンジジュースだろうか。「ミルクもね」 しかし、今日のオレン家”はというと、カリカリB.T.L=ブレッド&バタートースト・ラージサイズ。 つまり食べたのはイギリスパン。あとはベーコンエッグ、レタス・ブロッコリー・トマト別盛。
◎目標の被写体、保存か解体か?:先日、ある居酒屋で、「あぁ あの市大ビルかいな、おいとかはったんやない、壊さはるお金がのうてからほんま長っがいあいだ、そやけどあんた一体何処の生まれやの」という質問をうけた。

まぁ浪速友あれ我が心の大阪に、何事もなく無事復帰した。 そして日々の暮らしは^いやでもなれた。 やがて、長ぁ~~~~~い間、すっかり眠りこけていた^関西人気質・本能が、やっとこさ目覚め、ここかしこを尋ね歩いた。そうなんだ、往昔を忍び、かつて歩いたあの道この道、いつか来た道を転々、つれづれなるままに。
そんな僕の大阪。もっとも懐かしく思ったのは、母校大阪市立工芸高等学校の校舎である。それは僕たち青春時代のど真ん中、思い出の学び舎… 実は、そのレトロな本館が、今も相変わらず健在だった事だろうか。またハルカス眼下、天王寺駅前から堺・浜寺海水浴場を結ぶ阪堺線つまり〝チンチン電車〟そのガタゴト走音。さらにアジアの片隅で、ひたすら眠り続けてきたあの古びた3階建ビルヂング。 実は、このレンガ造りの建物を撮ったのは、ちょうど一昨年前の初夏。この写真、ほんとうに撮っておいてよかったと、こぉ~~~ころからそう思う。

肺炎気炎―――――
今を去る3年前、ざざっと打ち込んでおいたこの原稿。この断片小説、全8部作オムニバス構成になっている、と思う。これは、書いた自分も、読むかたも大変。それをチェックしたのが2年後、2015年3月頃である。 実は、約一か月の入院から、社会復帰した数日後だった。
その後も文面を再三再度校正・チェック。さらに加筆しているのが2015年11月末現在。そして今日は12月28日。 今年平成27年も、残すところあと3日足らず。 下界は、あわただしい年の瀬だというのに、ここでの生活は、実にのんびりとした日々である。 この12月という月は、言わずとも1年の終わりのようであり、また新しい年の始りともいえる。まぁなんだな、どちらかと言えばそう考えたほうが、迎える年にいい弾みがつきそうである。 さぁ~っと、喉も渇いたので生ではなく永谷園の~お~いお茶^待てよそうだった、ここでは自分で入れるしかないのだ。

mu~ mu~mu~お^親愛なる奈良友からのメール。「今何処?」 ほんと、僕ら仲間のメールは短い。 今ね、僕は何処なのかというと、天王寺JR大阪鉄道病院にいるの…実は、平成27年、早い話、昨年11月24日(金) 月1通院外来受診予約があった。 Am10:00 早速採血と胸部X-線撮影を終えた。あとは、この結果待ち…その間、さぁ半と出るか丁か二つに一つ。あなたならどうしていますか。 誰しもが考えるのは~神様仏様、どうか何の問題もないよう、よろしくお願い申しあげます…と、思うのが普通だろう。 ところががが^このレントゲン撮影で、こともあろうに吾輩の肺(右葉)に陽性反応がでてしまったのだ。 思わず僕は^まじに?ようせいやい。 いいや^正直いうと、やっぱりなぁ…そうだろうなぁ~まぁ、仕方ないだろうと~いうのが本音。結果 PM1:30 即^緊急入院となった。 そう~突の然、着の身着のまま、無情にも医療管理システム組織下に送り込まれてしまったわけである。まさに「天国と地獄」を…これは、ちょい大げさかな。

肺水の陣――――
早速、採血など再検査スタート。その結果、やはり肺炎に間違いはなかった。実は昨夜「高齢者の肺炎による、死者が増えている」というニュースをTVで見たばかり。思えば、一昨年の正月も入院中だったのだ。 そこで…なぁ、このままいけば今年の正月は、どうやら家でゆっくり酒が飲めそうだ^なぁ~んて昨夜、カミさんと話しあったばかり~なのにまさかさま。 ほんと人生というか、人の世を司る神様・仏様は、どうやら悪戯がお好きなようである。
まぁ^今回の入院、寝耳に水というほどの違和感はなかった。何故ならば、4年前にも全く同じような肺と腎臓のトラブルで、緊急入院している体^あれぇ、まぁいいか。
◎親愛なる友からのメール。実は年末に、この仲間たちと忘年会を予定していたのだ。ところが奈良友は、明日から入院するという内容の連絡だった。なんでも、此処だけの話だが…タマたま大切な?アソコに腫瘍ができたらしい。でも、どうやら悪性の腫瘍ではないようで、簡単な手術ですむそうだ。つまり、副作用のあるコウガン治療薬剤などは使わないだとさ。でもなぁ、もうなくt…やぁ~めた。

そもそも肺(肺臓:the lungs )とはいったい何。ご存知のように、肺は人間の胸部の大部分を占める臓器である。そう、とても大きな呼吸器官で、しかも左右2官1対の構造になっている。僕の肺も、成人の肺の重さは約1kgほどだという。 待てよこの数字、なんとなくフに落ちない。なぜなら、大きい臓器の割には軽いからだ。ところで、その肺の主な働きとはいったいなんだろう。つまり肺の役割は気管・気管支を通って吸い込まれてきた空気に含まれる酸素と、静脈血が全身から集めてきた二酸化炭素を交換して新鮮な血液を作ることなんだって。
つまり僕の肺は、この機能を果たすことができなくなっていたのである。要は酸素不足。その影響で、お隣の心臓にも多少の異常があるという。 ズバリ今^僕の身体は、とても心肺な状況下に置かれているわけである。

もう一つ、肺炎とは一体何?肺炎は、肺に炎症が起きる症状・病気のことをまとめて肺炎といいう。肺炎は主に細菌やウイルスなどの病原微生物により、肺が侵される病気。その肺炎には感染源を口や鼻から吸い込んで発病する細菌性肺炎と、ウイルスの侵入による肺炎、また真菌性肺炎などの感染性の肺炎などがあり、このほかに薬剤性の肺炎もあるという・・・
一般的にいう肺炎の多くは、前者の感染性肺炎だろう。だからマスクをかけることや、手を清潔にしておかなければいけないのだ。マスクを口だけにかけ、鼻の穴を出している人がいるが
これではマスクの意味がない。逆に鼻だけマスクという風習の国もあるというから、やはり鼻をマスキングしたほうがいいだろう。僕の場合は、肺の血管のトラブルである。特に毛細血管が何らかの原因よって傷つき、うっ血もしくは出血した状態だった。 僕の今回の肺炎は、どうやら薬剤性肺炎のようだが、いくつかの原因がからみあってのモノだと思う。では、血管の炎症を引き起こす原因とは一体何か?これは自習だな。まぁいづれにせよ、要は今のところ肺機能不全をいうことだ。
◎薬剤性肺炎:どうやら秋口から飲み始めた〝鎮痛薬〟というか、しびれ対策に処方された薬「リリカ75㎎カプセル」これが、今回のトラブルの原因のようである。実際、この薬だけではないがその効能は別として、副作用や服用時の注意書きを読むと、内容が怖くって^ 素直に服用することに抵抗がある薬剤が多いのが事実である。今回のリリカも、とても副作用が多い薬だが、注意事項にアルコールとの相性が悪いとある。なぜなら、アルコールとの組み合わせで薬効力が増すというのだ。 つまり、アルコールの力でリリカは75mg以上のパワーになるという。 だから、同時にリバウンドも大きくなり、血管障害も起こり得るということになる。
「毎晩、欠かさずお酒のんでいたでしょ」いたよ。あぁ^処方箋の説明書きにな…「何よ」…いやぁ^^^あの、「自業自得よ」そうさ、どうせおいらはアンポンタン。でもご安心ください、今は飲んでいません。「何を?」・・・
入院後、すぐに思い出したことがある。それは、確か2~3か月ほど前からのことだった…実は右肺の下部あたりで〝ちゃっぽん〟 という音がしていた。 この事実、当然主治医には告げてはいた。だが主治医は無反応。まぁビールを飲んだり、水分を摂った後でも、チャッポン音がすることはある。ところが検査の結果、やはり右肺に水が溜まっていた。この水の備蓄、どうやら僕の予想より早く、この5月頃から始まっていたようだ。 その溜まった水の影響なのか?特に右肩のこりが強かった。おまけに手足はしびれびれ、箸や絵筆を持つのも困難になった。 だから、ずっと絵を描くことも断念している。 そう^このキボードを叩くにも、多少の難儀はある。 さらに、日増しに貯水量が増すごとに、通常64kgのマイバディが徐々に重くなっていた。入院前から増えだした体重が67kgに。それが入院後10日間で、ぶよん ぶよよんの 74kg~つまり、10キロのハンディを背負ってしまったわけである。さて困ったモンダミン。すでに10年以上履いてきた、お気に入りのホワイトジーンズがまったくもって入らない、ボタンが届かない、ど^どうにかっ~ひぃ^ 今度はチャックがあがらない…履けない^この水ぶくれ肥満^もうどうにも止まらない。でもご安心ください、退院後の今は~こんなの、止めとこ。

そういえば、肺炎の初期症状〝イエローカード〟は 5月から出ていた。 いいや、もっと前から出ていたかも知れない。確実なところは、入院の2~3か月ほど前からのこと。微量だが鼻血は出るは、血痰は出るは息苦しいは^ちょっと動くとヒーヒー^ハーハー^ひぃはっは… そんな訳で只今入院生活真っ只中。
「森本さん 今、皮膚科から呼び出しです」はいはい。「お一人で大丈夫ですか」大丈夫じゃないよ、まだ息切れもするし、足がしびれているからふらついてころびそうなんだ。「酸素ボンベ付き車椅子にされますか」…すると、どこからともなくヘルパーさんが颯のように現れて~「私、押していきます」ありがとう^^^
◎皮膚科:どうやら院内のシャワールームは、水虫菌飼育・温蔵庫になっているようだ。以前の入院でもらった水虫に気づくのが遅れた結果、完全治療に8か月もかかってしまった。 だから今回の入院前に、やっとこさ完治したところ。つまり、この入院に備え、前もって水虫対策をと考え、皮膚科に相談することにした。
たかが水虫~なんだけど無視していると、とても厄介なことになりかねない。特に、糖尿病の方は要注意。最悪の場合、足を…。 僕は念のため、というか予防のため、シャワールームではビーチサンダルを履いて入る。だが、それでも感染することがあるようだ。 水虫治療薬、いろいろ試したが、まったく効かない薬もある。何故なら、水虫菌にも種類や個性があり、なんでも効くとは限らない。今回の、JR大阪鉄道病院特製培養オリジナル水虫菌には、同じ病院おすすめの、ガルデルマKK/ 抗真菌剤ぺキロンクリーム10gが効いた。

肺謝復活戦―――――
11月24日(火):入院当日、早速午後から肺炎治療開始。 まずは、ユナシンS キッド+痰を切り喀出を促すという「リソルボン混合気」を吸入。これを日にAM6:00~PM2:00~PM10:00 の3回、12月1日(火)まで続ける。さて、その効果のほどはいかに?

12月1日:午前中に採血・胸部X線撮影をすませた。午後には内視鏡検査が始まる。主治医の説明では、今後の肺炎治療方法を決めるため、気管支から肺の内視鏡検査が必要だという。 先ずは胃カメラと同じように喉から内視鏡カメラを挿入するため、喉奥に麻酔を噴霧。 決められた量を少しずつ 6~7回に分け吸入。4~5回目で効いてくるのが解る。 次、肺に150ccの水(大塚生理食塩水?) を入れることからスタート。つまり、肺の洗浄である。洗浄後、約100㏄の水を抜き取る。残りの濁り水の中に…投げ落とすのは何~なぁ^^^んて~これ、おわかりかなぁ。

確かに麻酔は効いている。したがって、喉元から気管支を過ぎても、カメラや管の痛み、違和感はまったくない。でもねぇ…唾液と痰が、喉の入り口で絡んで息ができない^グエェ^ゴエェ^^^手慣れた先生~「鼻で呼吸をしてください!」そりゃぁそうなんだけどゲボ^ ゴエェ^^^!じつはこれ、約30分の摂関である。まるで生き地獄。聞こえただろ^僕が無間地獄で思わずあげた阿鼻叫喚。 ほんま大げさだけど苦しいのなんのって^ 先 生、「あとね、もう少しで終わります^」だから頑張れって。おまけにアシスタントの先生「もりもっさん ほんまつよいなぁ、あとな もう少しやで^順調にいってるさかい」なんの、この後が長かった。先生曰く「肺には、痰は見当たりません」だって。じゃぁいったい僕の痰はどこで生まれ、どこからから来るの。 再び先生、「これから、肺の細胞の一部を摘出します」なに、まだこれからなの?先生^どうかお手柔らかに~よろしゅう^おたのもうします。「はい 終わりました」 うっそ…
いったいいつの間に。

当然だが、摘出する瞬間の痛みはない。 だががが^事前の話で主治医は、吾輩の肺は風船みたいなものだという。 だから、もしも^ いいや下手をすると~肺に傷を付け、空気が漏れ^肺がしぼみ…あ~ら大変^ まぁ一種のパンクだ。 これに対する、応急処置はできるというががが…
下手をすると、肺機能停止なんだって。仮に、最悪の事態に陥った場合だが、自力呼吸が出来なくなるらしい。したがって、気管に管を挿入。人口酸素吸入措置をしなければならないとのことだ。さらに…まぁ、とにかく^下手すると、これはえらいことですよ。

12月2日:内視鏡検査の結果、今日からパルス・ステロイド点滴注射治療開始。AM10:00 メチルブレゾ二ゾロン・ステロイドソルコティㇷってよくわからないが… とにかく、日に1000mg
という^信じがたい大量のステロイドを点滴するという。 これを3っ日間つづけるわけである。
3日後。点滴注射の結果、とりあえず最悪の病状は一応落ち着いた。 早速、ベッドをデスク代わりに機内モードでたった今、師走も休まず^ここをキィボードを必死叩いて頑張っている。
「森本さん、息どうですか、大丈夫ですか」まぁまぁ。「今2階の歯科から呼び出しですけど」はいはい~「車椅子はどうされますか」さぁ~て さて、どうしっかな。
◎入院時、肺機能低下で80% (安全値 95) に満たなかった血中酸素濃度。 これが1週間後現在、安全値の95を超え、97~8までアップしてる。そのおかげで、初夏から始まったゼーゼー呼吸も、秋からの鼻血も血痰も止まり、胸部X線結果も良好(^0^)/ 今、僕の呼吸器内主要幹線ルートから脇道、裏通りを、爽やかなブリーズが小気味よく通り抜けてる。ほ~ら聞こえるだろう「シーハー^シーハー^シーハー…」しかしなんだな…今回の肺炎、ウイルス性感染でなくてよかったよ。
それにしても、こんなにも心地よいすがすがしい空気感・爽快感、何十年ぶりだろうか。好きな煙草を止めて早や13年。だがこの間、この爽快感は一度も無かった。とはいえ、退院予定はまだ先である。 だが、50mg/a day と言う、今のステロイド(ブレドニン)摂取量から推測すると…30mgか、いいや20mgで退院かな?だとすれば年越しかなぁ・・・ まぁ、そのうち何とかなるだろう。そうだアイスクリーム^抹茶モナカでも食べよっかな。そうだ、中さんもどう
かな?~「イチゴ」はいはい。

◎肺炎気炎: 仮に今回の肺炎が〝ウイルス性〟だったとすると、治療方法は全く別ものになっていたのだ。 いずれの原因にせよ、肺炎は一つ間違えると^とても厄介な病気である。少しでも痰が絡んだり、血痰が出たら即^病院に行くべきである。
実は、肺のパンクなんて想像もしていなかった。 まぁ、このケースは少ないとはいえ、最悪のパターンだという。だが一応、そのありえる事態 (1~3パーセントの確立) を承諾することを迫られる。つまり、医療する側は最善を尽くすことには違いないが、結果はすべてなりゆき^ 一切お任せということ。 あとは所謂〝事故責任〟ということになる。かりに失敗し、肺の空気が漏れてしまったら… 中略~もちろん食事は寝たきり点滴、味は宇宙食には遠く及ばない? 要は~ハイ^それまでよ…つまり、下手すると早い話が死ぬまで「植物人間」ということになりかねない。この手術、YesかNoか、自分で決めなければならない。 さて、あなたならどうする?結局一か八かやるっきゃぁないのよね。
現に今、摘出手術でしぼんでしまった肺を、復活させる処置を受けている患者がお向かいに寝ている。24時間、しばしも休まず~肺に空気とパンク修理の薬剤を送る装置が~ポコボコボー ボコボコボー…がんばれよ!「はい」それから2週間。本日、やっと肺壁が完治したようだ。
早速、今から装着器具が外される。 お疲れさんでした^と、仕切カーテンの中から明るい声で~「みなさん(4人部屋)この音、うるさかったでっしゃろ すんませんでしたなぁ」あぁ…大阪も捨てたもんじゃぁない。 ななんの、そんなことより、ほんま^ようなられて良かったです。「おおきに」だって。 そのお方、3日後にご退院。各々がた、油断めさるな。
ところでみなさん、入院生活って~大変だろうって思っていませんか。僕は日々、意外と快適に、かつ^楽しく院内ライフを過ごしている。 とりあえずだが、明日28日の年内最終検査結果がOKなら、年末から正月は、自宅で一杯やることになっている。

乳頭の色は―――――
おことわり~このくだりは、科学的根拠など一切なく、しかも間違いかも知れない。 これは、あくまでも〝If〟そう、仮定の医学レポートである。 したがって、吾輩は一切責任を負わないのでそのつもりで読み流してほしい。
先生、実は右肺がおかしいと思ったころから、僕の右の乳首が真っ黒になっていたんですよ。「…」 そう、まるで黒豆のように。それでどうにか回復した今、乳首がほら^左右元どうりの
ピンクに…肝いからやめろってか 。主治医あっち向いたまま曰く「…そんなこと我々の分野では聞いて いません」だって。あのねのな、乳頭色の異常変化。 これは何等かの結果の顕れで、単なる偶然ではないはず。いいや一つの原因の結果としてのサインだろう。したがって、このような症状は、一つの注意信号だと考えたほうが無難ではないだろうか?ねぇ、乳頭色に詳しい笑福亭・・・「鶴光でおま」

余談活用:フ・ハツ談~正直なところ、肺が風船状だなんて知らなかった。なんといっても大好きな焼きトン。それも長年食べてきたモツ。 実は小さい頃、よく食べたモツは牛の〝肺〟だだっ。確か母が〝おふ〟とか〝フ〟と呼んでいたこのモツ。歯ごたえは比較的ふわふわした食感でやわらかく、食べやすいものだった。母のレシピは心臓(ハツ) などと、ダシジャコと昆布の和風出汁で醤油味。グツグツと、柔らかく煮込んだモツ煮だった。フはモツにしては、やや脂肪分が少なく、どちらかといえばあっさりとし味だった。おそらく、当時流通していたモツは、マグロ同様、脂肪分の少ない部位が主流だったのではないかと思う。また、ハツも同様脂肪分が少なく所々に血管が通っていて、それがコリコリッとした味わいがあった。おフの、あの肉厚な食べ応えが懐かしい。 そんなボリュームたっぷりのフとハツ、なのに肺がバルーンだなんて^僕はハツミミ~ いいやフに落ちない話。これは… ちょいと苦しかったね。
退院は5日後、1月10日に決まった。 約46日間の入院生活、さほど長いと思はなかった。だが、退院日が決まってからの5日間は、気分的に長かった。退院日の朝、AM4時に目覚めた。 朝の楽しく美味しいパン食とも、これでお別れ。 朝食後~ふっと気がつくと、なんと昼近くまで寝てしまった。 昼の病院食はキャンセル済~中さん、みなさん~じゃぁ、お先にね^お元気で。

タクシーは…あれぇ、いないよ。 いつも病院前から、乗り場まで続いている空車がいない。おまけに一台も走っていない。「ほら向こうに」たまに走ってきても、センター寄りレーンでこちらを無視。ひつこく15分待ったが、やっぱり来ない。仕方なく近鉄百貨店のタクシー乗り場まで歩いた・・・なんだ、いたんじゃない。 といっても、待機はたったの2台だけ。
タクシーの運転手さん曰く「昨日からの 〝とうかえびす(十日戎) 〟で、みんな^ロング客狙うて、えべっさんに行きよるんです。 ワシなんか、あんな混んだとこ^よう行きまへん」… そうですか。「ワシなんかいっつも流し専門です」 自宅に荷物を置いてUターンと、「おや、もりもっさん、お久しぶりで^正月の間ご旅行だったんでっか、リッチでんなぁ」あ^あぁ…

Q’sモール一直線!「1500円です、ええお客さんですは、おおきに^ほんまありがとうさんで」この間要した時間は15分足らず。この運転手さんは僕と同じタイプ。効率主義タクシードライバーである。所謂長距離客狙いの一発屋ではなく、乗客実車回数で稼ぐ人。
3F大起水産まっしぐら!…Pm3時前だと言うのに、まだ短いが列が残っている。 「だって昨日から3連休でしょ、しかたないはよ」?…そうか^なるほど明日成人式か、だから若い人が多いのか。「ねぇ、ユニクロ行く?」あとで・・・10分後~「カウンター席で お待ちの156番のお客様、たいへんお待たせしました」 なんだ^早いじゃない。とにもかくにも何をさておき生中^「私も」 じゃぁとりあえず乾杯だ☆~ム~ム~ム ムグムン~~~っと^あぁ…でもこれ、中なの?ねぇ?なに、へぇ…しょうなの^まずは煮アナゴ1本握りに、マグロ三昧〝三色握り〟お願い!「わたしも」 生^おかわり! ほらあれ…小ぶりだけど、ひっさげの本マグロおろしてるよね。あれさぁ、夜用のネタの仕込みなのかな? 見事な包丁さばきだね。 あのわずかに、わざと?残された中おち^少ないけど今な、きっと出る。 「いいはねぇ」それまで白身三昧!「私も」「あいよ!」 なぁ~んて、言わないよねここは。
ここだけの話:生中の中身の量、店によってずいぶん差があると思う。 また価格もばらばら。それとあの餃子の、そうあの店。 餃子の中身~具が少なく、小さく食べやすく? なったと思
いませんか。そうですか、やっぱりねぇ・・・
◎アナゴ1本握り:これ600円ちょいと高いよね。まず、シャリからはみ出た部分のアナゴで、生中2杯やる。あとは普通の握りで~ぱっくん、これ僕の定番。

また脱線してしまった。えぇぇ…実はこの3階建て建造物なんだが、僕が小・中学校時代には既に大阪阿倍野交差点寄りにあった3階建。 戦後から小学生当時、昭和26~’7年ころ、いいや30年までの大阪の下町には、まだまだハンドメイドによる〝バラック〟が、仲良く肩を寄せあっていた。 その後、どうにか復興の兆しが見えはじめ、新築住宅もここかしこに建てられ
るようになった。新築家屋と言っても、ほとんどの建物は平家か、せいぜい小さな2階建て時代。まぁこの写真の建物は一般のものではないが、そんな時代の3階建て。ましてやテッコン
キンクリートのビルヂングと言うだけでも、当時は珍しい存在だった。それこそ2階建てはお
ろか、3階建ては庶民羨望の的だった。 中には家を正面から見て、平屋は2階建てに、あるい
は2階建ては3階建ての四角いビルのように改装する、そんな増改築が流行したものだ。
これを横から見ると、どう見ても人が暮らせるほどのスペースではない。 つまり、偽りの姿で、まぁよくて物置だろう。 この正面壁~看板用には利便性が高く、林豆腐店、鈴木オート
バイ、山田自転車、田中理髪店、山本時計・メガネ宝石貴金属店などの店舗が多かった。 そう、昭和3~40年代は、このような映画セット擬きもの、つまり見せかけのリニュアールがこ
こかしこで横行した時代だった。 現在の大阪にも、当時を彷彿させるそんな建物が、半世紀
後の今もなお数多くたくましく現存している。ただほとんどのお店、今は閉店〝準備中〟
注:文章内の店名は、実存するものではなく、あくまでも僕のイメージによるものであります。

さてと。この3階建なんだが、僕のよほどの思い違いでない限り、おそらく 「大阪市立大学付属病院」だろう。もしくは、その関連施設であることに間違いないはず。それを今一度、確認をと思い出かけた訳だ。今は近くに立派な設備の整った、近代的総合病院がこの先輩のバトンを引き継いでいる。地元大阪市民は、この病院施設を手短に「しだい」とか「いちだいびょういん」と呼んでいる。それにしても当時のこの病院、こんなちっぽけなスケールで、事足りていたのかなぁ……?
◎市 大:大阪市立大学、その阿倍野キャンパスに位置する、大阪市立大学医学部附属特定機
能大学病院。一方「阪大病院」つまり、大阪大学医学部付属病院は大阪府吹田市~これはね〝ふきた〟市ではない。そう^吹奏楽の〝すい〟つまり〝すいた〟と呼ぶ。 関西では有名な大阪郊外、あの万博記念公園近くにあるマンモス病院である。さて、これからの通院を市大にするか阪大か、どちらにするか?まぁ気分しだいやね。

◎2013年12月末。諸事情が絡み合い、京都聖護院京都大学医学部付属病院への通院を断念。
というより、この病院に行くことは二度とないだろう。つまり、京大病院は、歯科口腔外科の〝高圧酸素治療〟のための入院で終わってしまった。実際、根の折れた奥歯の手術は、延期になったままだった。つまり、歯の治療は、ひとまずおあずけということにした。それで、今後の通院先として、京大付属病院の紹介を受けた病院が、大阪市立大学付属病院である。
その翌年、正月休み明けを待ち6日朝、早速初診を受けに出かけた。 でもねぇ、たいていの病院のエントランス、というかアプローチなんだけど、どうして上りになってる建物が多いの? 僕は知らないけど、何か病院建築基準法でもあるのだろうか、ほんの2~3年前なら一気駆け上がった上り坂。今ではやっとの思いの命がけ。
◎奥歯の折れた歯の治療は、結局JR大阪病院に決めた。なぜなら…まぁこれはまたの機会に。 女性歯科医の考えで、約1か月半の間、骨粗鬆症予防薬(アレンドロン) をストップすることに決定。 実
はこの医療計画には、僕も同感だった。手術はそれからでも遅くはないということだ。その後どうにか無事に手術(約20分)を終えた。 後は入歯を設えるだけ。 そうなればだ^ナンコツだろうがカシラだろうが、大好物の塩まめも~ゴリバリボリじゅわり~(^0^/

市大外来受付ロビーは、人・人・人。まるでお祭りのように、ごったがえしていた。だがこの日、結局診察は受けなかった^と言うかこの病院にも、二度と行くことはないだろう。 詳細はいずれまた。 ただね、一言。その朝、10時受付からランチタイムをはさみ、4時間以上は待たされた。まぁ、病院で待つことには慣れている。さらに、正月休み明けという事もあり、やむを得ないと思ったががが^ 外来患者に対する、ちょっとした思いやり~ 「ほんとうに、長くお待たせして ごめんなさいね」の一言。そんなわずかな心運び、と言うか^「大丈夫ですしょうか」と言ったワンラブ・ワンハート があってもいいようなものだと、こぉ~ころから そう思った。実際、その後行った、JR鉄道病院では「お待たせしてごめんなさいね、酸素ボンベお持ちしましょうか」という姿勢。 どうですか、こんな考えかた、甘いのかな。
でもね、もう少しは暖かだったはずの大阪下町人情。この市大病院だけではなく、なんともうしましょうか町全体が、ずいぶんドライなイメージに変わってしまったような気がする。これが無表情に、知らん顔して^黙って移り変わっていく時の流れなのか~ 月日は百代の過客にして行きかう人もまた旅人なり……時きの流れに 身をうらなって 何処をねぐらの渡り鳥… こんな大阪に誰がした。 確かに、時代は容赦なく変わってきた。 そして今も、間違いなく刻一刻と移り変わっている。そんな流れの中、昔も今もあい変わっていないのは、やっぱり浪速の元気印オバちゃんだけ。「見も知らんあんたに そないに褒められるやなんて いややは ワテほんまに よう言わんは」浪花千恵子さんで?「…」ちがったか?…!笠置さん^そうだった。

付き添いのカミさん、「いつ呼び出しがあるかも知れないから」だから院内のレストランで昼食、という事で行ってみた。名前の通り、そこはごく普通というか準?レストラン。今は病院の食堂や入院食のクオリティーが問われる時代。市大のレストラン、なんでも宝塚ホテルの経営だというが、さすが^そのメニューも実に豊富で和・洋食・中華なんでもあり、しかも満席。さほど長くはないが行列ができている。順番を並ぶことが大の苦手な大阪人が、わざわざ並んでまで~理由は皆同じだろう。どうしても今ここで、食べたくて並んでいる訳じゃぁないと思う。カミさんはタンメン。 僕は迷わずデミグラス風味ソース・ハンバーグ定食。これね、まぁ味はそこそこ、値段もそこそこ^あ!し^ しもた…いいや^病院がちがった。
ちょ^ちょっと待った、なんだって?嘘だ…「何なのよいったい」 今ニュースでな、アメリカの大学生が、地球に第〝 9 〟惑星が存在する可能性を発見したっていうんだ。「それがどうかしたの」……まぁ~べつに、どうもしないけど…。でも、気になる。 これつづく。

mu~mu~mu 何々、おぉ^1月30日、サッカー部のOB新年会だって。もしや大阪マラソンの…違った、さすが体育の先生。でもさぁ、僕にとってOB会は半世紀ぶりだよ。 あん時は、わざわざ東京から大阪工芸高校のグランドへ。着くやいなや、早速後輩イレブン?と15分ハーフ。 いやぁ30分ハーフやりたかった…嘘です。そのあと教室で大宴会。今回は先生のご自宅で~じゃぁなく、天六(天神橋筋六丁目)だって。地下鉄堺筋線か、2番出口出て…丸に八。行く行く^行きまんがな行かいでか!もしかしてやで、これが最後かもしれんからなぁ・・・
その夜、いつもならすでに高いびき。ところが、ついに延長戦。日本は相手に攻め込まれる苦しい展開を守備陣が何とか踏ん張り、0-0のまま迎えた延長前半が始まった~あぁ…もうあかん~眠うなってもた。 なぁって、「何よ」録画 たのよよよ^むむむ… だががが、ここから試合
の流れは一転。
リプレイ:日本は 0ー0のまま迎えた延長前半6っ分、豊川選手がジャストミート^ やったぁ^ルック@ 見事なヘディングで、日本はついに均衡を破った。みてみぃ^ほらな、やっぱりサッカーは頭やユウタやろ。さぁ、あと1点やでよっしゃ、飲みなおしや~わわ!わーなにぬねの^中島が後半4分ミドルいっぱぁ~つ、見ろこの勢い^もうどうにもとまらへん~なぁ、「何よ」角ロックおわってもた。「そこに 新しいのあるじゃない…」…何処?~^ほんまや。 さぁ~らに6分!夜はま~だまだ、こ れ か ら。

26日、いつもなら就寝時間。イラク戦^観たか!もう一度プレイバック~日本は後半、相手の激しいプレスに悩み、今一歩ゴール前まで攻め込むことができなかった。たががが、試合終了間際またまたアディショナルタイム、南野選手のタクミなクロスを、相手のゴールキーパーが真っすぐパンチングと!そのボールをミッドフィールダーの原川選手が、ペナルティーエリアの外から、これは実力ともいえる底チカラなのか、見事リキのこもった^ ~目の覚めるような低い弾道を残したシュートを決め^ついに勝ち越しのゴール!これで苦手イラクに見事2x1で競り勝。 こうして決勝に進出を果たした日本は、見事2位以内が確定。これでめでたく6大会連続のオリンピック出場を決めたのだ。こうなりゃぁ決勝は、韓国だろうが何処だろうが、U-23 全勝^完全優勝や!おぉ~い!酒や酒や…「買ってあるはよ」 ・・・なんだこりあ?やっぱり 韓の国か…こりやぁえらいこっちゃがな・・・酔いがそうとう廻っております。とりあえず、お わ り。

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